広兼邸(ひろかねてい)


 広兼氏は大野呂の庄屋で、同家2代元治が享和、文化の頃小泉銅山とローハ製造(ベンガラ)を営み巨大な富を築き、徳川末期に建てられた楼門づくり城郭にまがうばかりの石垣は、今もそのままに当時の富豪を偲ばせている。
 二階建ての母屋、土蔵3棟、楼門、長屋、石垣は文化7年(1810年)の建築で庭園には水琴窟が設けられており、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えである。離れは大正の建築でお茶室、化粧部屋、客間、風呂等をそなえたお座敷で、当主の結婚式に一度使用しただけで以後は使用されていない。
 映画「八ツ墓村」のロケがおこなわれ全国に放映された。
(成羽町観光協会資料より)

広兼邸1 広兼邸2 広兼邸3

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